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    November 30

    leben~最後に~

    長い間ありがとうございました。
     
     
    更新もまちまちになったりしてほんとスミマセンでした。(っていうか誰も待ってない気もするのだけど…苦笑)
     
    おかげでようたくlebenを完結することができました。
     
     
    気付けば病気になってから2年…。lebenを書き始めてから、もう一年半が経とうとしています。
     
    その間に琴の気持ちも大きく揺れてた時期もあります。
     
    正直まだ不安なことも多くて…。
     
     
     
    琴はこの卵巣癌という病気と向き合って大きく変わったことがあります。
    それは『生』と『死』…
     
    琴は病気になるまで、一度も自分が『死』について考えたことがなかった。
    でも、初めて琴が癌とわかった時、何よりも『死』ということを考えた。
     
    それ以来、琴は『死』について考えた。
    死ぬことによって何かもたらせるのか…。
     
    確かにそれまでに、何度か知人の死には居合わせていた。
    でもそれとは違かった。
     
    治療を受けている時は、ひたすら『生きているのに死に行く』気分であった。
     
    自分の体のはずなのに自分の体の気がしない…
    鏡に映る自分はほんとの自分なのか…
    肉体というの単なる器ではないのか…
     
    『いつ死ぬのだろう…』と…
     
     
    検診で腫瘍マーカーの数値が上がってた時は、死にたいと思ったこともあった。
    もう、あんな生活に戻りたくないと思った。
     
     
    検診の度に不安だった。
    診察を受ける度に悲しかった。
    何で琴がこんな目にあっているのだろうと…。
     
     
    でもそんな不安だらけの中で琴は皆に助けてもらった。
    高校の友人たちや先生たち。病院の先生をはじめ看護婦さんたちも。
    そして誰よりも忘れてはならない、両親、祖父母、姉たち…
     
    このブログをはじめてから出会った方たちにも
     
    大学に入ってからも多くの人に支えてもらった。
     
     
    ほんとに琴の回りに人がいなかったら、治療も勉強も頑張れなくて今の大学にいなかったかもしれない。
     
     
    ほんとにありがとう。
     
     
    今度は琴が皆にお返しをする番なのです。
    ありがとう。
     
     
     
    治療を受けている間、絶対に手放さなかったものがある。
    それは、抗癌剤を抑制する薬とその薬を入れるケース。
    そのケースには琴の大好きな人たちの笑顔があった。
    琴はその笑顔を見て頑張った。
     
    早く琴もその中にいる皆と同じ笑顔になれるように…
     
     
    皆がいたから
    今、琴は
    ここにいる…
     
    ありがとう
     
     
     
     
    今、琴の目標がある
     
    今は『今』を生きること。
    何よりも『強く』生きること。
     
     
    『LIVESTRONG』
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    このブログを始めた時の目標が達成できました。
    もし誰かが癌になって病気について知りたい時、医学的に知るのではなくて
    患者の生の声を知ること。
    10代で病気になる確立の低さ…
    10代にとっては行きにくい婦人科…
    抗癌剤の影響…
    副作用はどのようなものか…
    琴が病気になった時ずっと知りたかったもの。
    だからこのブログを書いた。
     
    もしこのブログが誰かの為になれるのなら幸いです。
     
     
    大丈夫。一人で病気に挑もうとしないで頼ってみよう。
    支えてくれる人がいるのです。
     
     
    大丈夫。
     
     
     
     
    いろいろ書きたいことがあったのですが、なかなかまとまらなくて…
    文章がめちゃくちゃだけど、今の琴にはこれが精一杯なのです。
     
     
    これでlebenは終わりになるけど、まだまだ琴は病院に通ってるし
    再発の可能性は全くないわけではない。
     
    でも区切りがつけた。
     
    ブログはまだまだ続きますけどこれからもよろしくお願いしますね☆
     
     
     
     
     
    ほんとありがとうございました☆
     
     
     
                       2006 11 30  奏 琴
     
     
    November 29

    leben~31~

    3/2
    琴のこれからが決まる日。
    もし、大学に受かったとしても悪かったら病院へ戻ることになる。別に何ともなかったら今まで通りの生活に戻れる。


    病院へは母と一緒に行った。行ってみるといつもいるはずの田原先生はいなく、第1部長の先生がいた。
    田原先生はその日学会が入っていて、代診だった。

    琴とお母さんはかなり緊張していたのに、その第1部長先生はあっさりとしていた。
    『検査結果は大丈夫だから』
    その一言だった。結果が良かったことにこしたことはないのだけど、何も説明はなく『大丈夫』だけ。琴と母は思わず『えっ!?』と聞き返したくらい。
    第1部長先生がその横でカルテを見ながら、『あまりカルテには詳しく書いてないんだよね~。田原先生基本的書かないから…』
    Σ( ̄□ ̄;|||

    田原先生がちゃんと覚えてくれてるのはとてもすごいことだし偉いなぁって思ったけど、いくら何でも他の先生にもわかるようにカルテは書いて欲しいなぁと思った。


    やはり気になるので、母と二人して確認をとってしまった。『もう、治療はしなくていいんですか?』って。そしたら先生は『検査結果を見るからにもうキレイになってるから大丈夫だよ』と言ってくれた。


    この言葉を聞きやっとほっとすることができた。自然と笑みがこぼれた。


    治療は終わったけど、これからは毎月の検診が大事になってくる。超音波による診察を受け、血液検査をして腫瘍マーカーをみる。そして半年に一度はCTやMRIの検査を受けるということ。今はまだ月に一回だけど、そのうちに二ヵ月に1回になり…半年に一回になり…。そのうちなくなってくると。

    ただ、釘を刺されたことが一つ。治療が終わったからといって、完治したわけじゃない、と。これから3年間が勝負なんだと言われました。
    これから3年間が一番再発のおそれが高い時期。その3年さえ過ぎれば安心できると…。


    とりあえずこれで約半年の琴の闘病生活が終わった。



    これから琴の新しい生活が始まる。
    不安なことは多くあるけどこれからもっと強く生きてこうと思った。

    そして『今』を…。


    September 08

    leben~30~

    式典の後は、各クラスことに写真を撮った。その合間に養護の木之下先生と福田先生と楓で写真を撮った。他の子たちもいるからゆっくり話はできなかったけど、この写真は今でも宝物。楓とあゆみとで撮った写真も。カツラで違和感があって、まつ毛がないから不自然なのに。


    H.Rは正直覚えていない。そんなに悲しい気持ちもなかった。このクラスにはあまりいなかったから思い出も少なかった。文化祭は保健委員と部活、クラスマッチは東関東、マラソン大会は入院してたし…。


    H.Rが終わると琴は部活の送別会が始まるまで保健室へ行った。木之下先生と福田先生へお礼が言いたくて。
    本当に、先生たちが琴を病院へ行くことを薦めてくれなかったら、琴はもうここにはいなかったかもしれなかったから…。たった、お礼を言うだけなのに涙が溢れてきた。ちゃんと言いたかった。『先生たちのおかげで琴はここにいるんだ』って。先生たちもよく頑張ったねって言ってくれた。嬉しかった。




    部活の送別会が始まるまで卒業生は別室で待機だった。でも、その中にいることが辛かった。勝手に作ってしまって、勝手に感じてしまった壁…。怖くて近付けなかった。琴はそのまま佐伯先生のいる教官室へ逃げるように行った。教官室には後輩たちがいた、多分卒業生へ向けてのプレゼントの作業中だったんだと思う。でも、先生がいていいよと言ってくれたので、なんとなく、ぼ~っとしていた。

    怖かった。部活を引退してから、すぐに入院してしまったから。怖い思いの方が多かったのだが、恨めしく思う部分もあった。同級たちも後輩たちも知らないんだ。琴が必死で闘ってきたことを、こんなにも辛かったことを…。笑って卒業する同級たちが羨ましかった。

    送別会が始まってすぐはみんなの中にいたのだがやっぱり自分のいる場所がないような気がしてすぐに教官室へ戻ってしまった。もともと人の多い所だとすぐに疲れてしまうから。

    多分、他の生徒から見たら変だったかもしれない。でも、そんな人たちの中にいるよりかなり楽になったから。

    たまにはみんなのいる音楽室には顔を出した。後輩たちは後輩たちなりに考えて送り出してくれた。


    とりあえず会が終わった後、それぞれ後輩たちと話す同級たちが多かった。でも、私には何も話せる後輩はいない。自分のパートの後輩はもう一人の方を慕っているから。


    佐伯先生に挨拶をして帰ることにした。会うのは別に最後ではないけど、けじめ。
    『6年間お世話になりました。部活を通して学んだことは多いです。でも、あまりにも引退してからの方が濃くて…(笑)先生には大変お世話になりました。ありがとうございました』と…。



    明日の病院の結果次第で琴のこれからが決まる。まだ、もし、癌細胞が体に残っていたら病院へ戻り化学療法は続く、もし何もなければ治療は終了となり普通の生活へ戻れる。
    でも、『普通』の生活って何?まだ抗癌剤の副作用で抵抗力がないから風邪には気をつけなくちゃいけないし、外出する時はカツラかバンダナを…。鏡に映る自分が自分じゃないような気がした…。






    思った。この病気のことを話したら自分でみんなとの壁を作らなかったのではないか?でも…。


    August 18

    leben~29~

    3/1
    今日6年間通ったここを卒業する。

    ここの生徒として制服を着れるのは今日まで。


    正直卒業式に出るのは嫌だった。
    違和感があるカツラをし、本来なら眉がある位置の場所に眉を書き、の出席だったから。
    でも、母さんが私が出ることを楽しみにしてたから。
    前に出たくないと言って母を困らせたことがあった。その時母は半分涙目で言った。
    『ちゃんと区切りを付けよう』
    確かにそうだと思った。でも内心は不安と恐怖が入り乱れていた。


    26日に一度学校へ行っといたせいか教室に入ることはできた。でも、長い間いることは無理ですぐに廊下にでて隣りのクラスの楓やあゆみたちと一緒にいた。
    前の琴だったらいろんな所へ行き、みんなと写真撮ってるのに、あまり写真に残したくなくて、話しているだけで精一杯だった。


    HRが始まり、体育館へ移動することになった。第1体育館で式典が行われるので、時間が来るまで第2体育館でH3は待機だった。第2体育館に続々と集まる同級生。怖かった。
    ここにいる大半は琴の敵だと思うように。

    その中でも、よくお見舞いに来てくれてた森くんと長岡くんたちとは話せるので話していた。そこに同じ部活ただった中村くんが来た。多分、中村くんは悪気があったわけではないと思うけどショックなことを言われた。

    『いやぁ~親戚そろって卒業できないかと思ったよ』

    桜桐高校には琴の再従兄弟も通っていた。再従兄弟は情けないことに女子に苛められたとかなんかで学校に来なくなり、結局遊び始めて卒業できるかわからなかったくらいだった。

    私は再従兄弟と一緒にされるのが嫌だった。単に遊び過ぎて、学校にもバイトだからといって来なくて単位が残りゼロとか言ってるやつと一緒にされるのが。確かに中村くんは事情を知らなかったとしても琴がずっと入院してたのは知ってるはずなのに…。
    その場は笑顔でいたけど内心は悲しかった。


    そんな中、卒業式は始まった。後輩たちが演奏する中の入場。見られてることが怖かった。いつこのカツラがバレるのか、みんなが変に思わないかでビクビクしていた。

    カツラをつけているとずりあがってくる気がして、何度も直したくなった。それで直す度にマジックテープのベリベリっという音がしてすごく嫌だった。
    また少しでも下を向くと襟足が上がって、中の地が見えそうで嫌だった。
    まるで見世物状態のように視線が集中してるかのようにも思えてきた。

    不安と恐怖が入り乱れる中式典は始まった。琴のツマらないプライドのせいかわからないけど、個名点呼ではちゃんと返事をしようとしてた。体育館全体に響くように。意思表示だったのかもしれない。琴はここにいるっていう…。


    正直式典の内容は覚えていない。毎年聞いていたというのもあったし、早く逃げ出したい気持ちの方が強かった。
    式典が終わりに差掛かり、蛍のひかりが斉唱された。琴は今までこの曲を聞いて先輩たちを見て泣きそうになってた。今、その曲が自分たちに向けて演奏されている。回りの子たちも泣き始めた。なのに琴は6年間通い慣れた学校のはずなのにみんなほどさびしい気持ちになれなかった。なんでだろう…。もう卒業することよりもさびしい気持ちを知ってるから?苦しい気持ちを持ってるから?
    何か置いていかれた気がした…。
    式典が終わる…なんで…そんなに悲しいの?
    2.3学期まったく学校に行ってなかったから思い出が薄いの?
    でも、ちゃんと楽しいことは思い出せるんだよ?でもね、なんかね…。

    卒業生退場になる、きっと毎年のことだから『卒業写真』で退場するんだと思ってた。でも、始まりの音が違う、『さくら』だ…。6月に東関東選抜バンドセッションでやった曲…。後輩たちの合唱も聞こえる。
    先生はどんな気持ちでこの曲を選んだんだろう。毎年この時期になると言ってた『私立教師だから毎年置いて行かれるんだ。見送ってばっかりでみんなと卒業できないんだ』って。


    少しだけ琴は『卒業』するんだという自覚できた。
    March 11

    leben~28~

    翌週の血液検査も白血球の数値はそんなに下がっていなかったため無事に後期入試を受けられることになった。
    後期入試は前期入試とは違い、地方試験がないため東京での受験だった。

    OCに何度か訪れていたため見慣れていたからあまり緊張はしなかった。

    ホテルも大学から歩いて3分くらいの距離。体力的にも十分。

    髪はまったくないから秋に受けたAOの時のように風呂場で困ることもない。


    結構落ち着いていた。

    試験日程は一日目に後期試験。一日間を挟んでセンター+実技という2種類の入試を受けた。

    正直、受かる気はしなかったけど、今この受験ということが目標で何とかここまでやってこれたのだから。


    3日目の試験が終わった後、ずっと我慢していた映画を見た。姉も付き添いで来てたのだが映画は一緒に見ず連れて行ってもらった。
    念願の映画を見れたことで何か達成感を感じた。受験じゃなくて映画でね(笑)



    地元に帰って来て、翌日いっぱい休みを取り、とうとうその翌日が検査をする日だった。



    検査当日は朝一で採血をし、そのままMRI室へ。CTは簡単に取れ時間も早いのだが、半年に一度くらいの割合でMRIを取ることになってる。
    MRIは電磁波の振動で撮るため音がすごくヘッドフォンをしても全く無意味な気がした。何回か連続で撮った後も像影剤を入れてからさらに撮る。結構時間がかかるものだ。


    採血の結果も良好。後は今日やった検査の結果がカギを握ることになった。


    2/26
    この日は卒業式前に予行練習等をするための登校日だった。
    やはり登校日となると教室にも行かないといけなくなるわけで、そうなると実際に教室に行くのは10月にちょこっと寄ったくらいで久しぶりだった。前にも書いたけど教室は保健室と違って怖かった。保健室は琴の詳しいことを知らなくても何も言わないで迎えてくれる。でも教室となるとなんで長期休んでたか聞かれるようで怖かった。でも卒業式はちゃんと出たかったので慣らすことを考えて勇気をふり絞って教室の中へ進んだ。
    近くにクラスの中で仲良い子が近くだった。長岡くんも近くだった。琴がいない間にも何度か席替えをしていたらしい。
    席の場所も端っこだから、あまり人とも接触せずに済んだ。未だ慣れないカツラのせいもあって半分は対人恐怖性になっていた。琴のことを詳しく知らない人は全部敵だと思うように。

    教室では軽いHRで、その後は式典の練習だったのだが、いきなり高3が全員集まる中に行くのも嫌だったのでその間は保健室にいることにした。副作用も全部治まっているわけではないし。
    式典は中高合わせて5年出ているので内容もわかっているからということで全面パス(笑)毎年吹奏楽の演奏で出席していたので。

    ちょうど式典の練習の時間、部活顧問の佐伯先生も空いていそうだったのでこっそり移動。いろいろ話していた。


    みんなが式典の練習が終わる頃、琴も教室へ戻りHRを受ける。

    翌日の卒業式の説明を受け、解散となった。

    中高と通った6年間が明日で終わるんだ。


    leben~27~

    点滴をすることによって体調は回復し、白血球の数値をあげる注射もすることで数値も正常値内へ戻っていった。
    やっと入れたままであった点滴の針もぬくぬくことができた。血管が細いせいで少しもれてしまい薄く内出血ができていた。


    ご飯も食べられるようになり、点滴も抜けると食器を自分っ片付けなくてはいけないのだが…やはり部屋の外には出づらかった。点滴をしている間は看護婦さんに頼んでいたから。

    あまり人との関わりも嫌だったため片付ける前に廊下の人影を確認していたりした。今思えば意味のないことだったと思う。でもそれだけ自分が嫌だった。


    体調が戻って来た木曜日、田原先生が退院していいよとの許可がおりた。無茶はしないこととまた何かあったらすぐに病院に来るよう言われた。
    そして本来なら来週から最後のクールが始まる。でも緊急入院をしたために体調が完全に戻らなければ予定してた日程とずれ、この後にある後期試験や卒業式までも危なかった。
    とりあえず先生は来週の月曜朝一で来て血液検査をして白血球の数値が治療開始できる数値まで戻ってたらそのまま入院して始めようとのことだった。


    琴は結局金曜に退院し、治療開始できるように様子を見つつ少し勉強もしていた。


    月曜、行くと案の定数値復活。そのままの入院となった。


    入院した翌日、病室に森くんと長岡くんが来てくれた。長岡くんとは中一からの付き合いで仲の良い友達の一人だった。琴の眉毛がなくてもバンダナを巻いてても何も言わないでいてくれた。
    琴はちょうど過去問の数学を開いていたのだけど全くわからなくて困っていた時だった。長岡くんは数学が得意な方で簡単に説明してもらった。ちょうど助かったかも☆話もいっぱいした。長岡くんも受験前なのに来てくれて嬉しかった。



    とうとう予定していた全6クールの最後。長いようだけどクールことで見てるとすごく短い。本当に6クールやったのだろうか?何か忘れてたはいないだろうか…。
    予定だとこれで終わる。これさえ終われば琴はもう普通に生きていけるんだ。

    そう思いながら6クール目の治療は始まった。

    前回と同様タキソールの入れ始めには慣れたようだった。終わる頃に慣れても今更というか…(;^_^A

    入れている間はとても長く感じたけど、終わると短く感じた。
    『これで終わったんだ』



    ようやく予定の6クールすべてが終わり、後は精密検査をしその結果次第ということになった。

    薬の経過が出る時期や琴の後期入試の日程を考えて、検査をするのは入試を終えてからということになり、その結果を聞くのは3/2に決まった。


    この3/2で琴のこれからは決まるんだ。普通の生活に戻れるか、それともまた入院の闘病の日々が続くのか…。
    January 10

    leben~26~

    病院に着きそのまま婦人科へ。午後は専門外来+時間外だったため人はいなかった。
    看護婦さんに体温計を渡され熱をはかる。琴にしてはめずらしくあった。
    一応インフルエンザ感染のことも考えて検査。鼻に綿棒みたいなのを突っ込まれる。初めてだった。
    そしてとりあえず至急で血液検査をした。

    田原先生が来るまで少し時間がかかってる間琴は起きていられず長椅子に横になってた。それを見た看護婦さんは特別に安静室を明けてくれて横になっていいと言ってくれた。
    産科も一緒の婦人科だから安静室が付いていてベッドも何台かあった。

    先生が現れて血液検査を見る限り白血球の数値が低いとのことだった。起きてるのも辛いことを言うとあっさり『入院しようか』と言われた。

    琴は迷った。でも迷うというより戸惑う…ショックだったのかもしれない。
    本来なら明日が本命のS大学の前期試験だった…。
    琴は『明日…試験なんですけど…』と田原先生に言うと『どっちみち体調悪いんだから受けられないよ』と言われた。
    そっか…。

    結局、その日はそのまま入院することになった。

    ただ、いつも入院していた婦人科の病棟がいっぱいということで産科の病棟に行くことになった。動けないこともあって車椅子での移動。フラフラするけど車椅子には慣れなかった。
    産科でも個室だった。そしてなるべく部屋からも出ないように言われた。体調が悪い患者が動き回って新生児や妊婦さんに移すのも良くないから。


    急遽入院することが決まり母は急いで家に戻り荷造りを。でも簡単にできる。いつも入院セットはできてたから。


    病室に入ると即点滴を入れることになった。抗生剤のものだった。皮下に一度打ち反応を見てから点滴を入れる。
    相変わらず血管が見つからない。話によると点滴は3日間入れっ放しのようで太い血管を探さなくてはいけなかった。看護婦さんが苦労して何度も刺してるといつも抗癌剤治療の時に針を刺す宮内先生が来た。
    宮内先生がいつも入れていることを知りバトンタッチ。でも結局宮内先生も入れるまでに3回くらい刺してました。

    点滴は琴が私服のままから始めたので、母が荷物を持って来て着替える時は看護婦さんに頼めばしたままでうまく着替えさせてもらえるのだ。
    産科の病棟は医務局が近いせいか田原先生と同じチームの先生が何度も来た。めずらしく田原先生も8時くらいまでいてくれていた。いつも琴の家の前を18:30頃通ってるのに…。

    一応晩ご飯も用意されたのだがやはり食べられなく食器の片付けも母と一緒にやって来た姉に預けた。



    母たちが帰った後、琴は考えていた。本来受けるはずだった明日の試験を。
    受かる確率は相当少なかったけど、受けることさえできない自分が嫌だった。



    翌朝、母が仕事に行く前に来てくれた。点滴はしたままだったのでまた食器も片付けてもらった。出ちゃダメって言われてるし。
    そして自分なりにも出たくなかった。いつもの病棟なら同じ病気の人はたくさんいて平気なのだが。ここは産科の病棟。この病棟には不釣合い…。
    高校生…癌患者…。なんか違かった。にこやかな幸せいっぱいの中に入れと言われても入れないし、入るつもりもなかった。


    母が仕事に行くため部屋を出た数分後、ノックの音がした。検温の時間にはまだ早いし…。誰だろうと思ったら、前まで琴の担当をしてくれていた南さんだった。

    ちょうどエレベーターで母と会ったらしく、琴が急遽入院していることを知ってわざわざ来てくれたのだ。
    うれしかった。普通病棟が違かったら来ないのにわざわざ来てくれたのだ。
    南さんに本当は今日が試験だったことを話すとそれは残念だね。でも体が一番大事だから。治ったらまた挑戦すればいいと言ってくれた。うれしかった。

    午後になるとまた前の病棟の別の看護婦さんが来てくれた。南さんから話を聞いて来てくれた。やっぱり今までいた病棟はいいなぁと実感した。早く戻りたいな…。



    内心、琴はこの時『生きる』ことを考えてなかった。
    琴が死んだら…とばかり考えていた。
    死ぬ前にみんなに手紙を書こうとまで思っていた。遺書とかではなく手紙を。
    母に父に姉に。祖母や祖父、楓にあゆみ、赤澤くん、森くん、佐伯先生や木之下先生に…。クラスのみんなにも書いた方がいいのかな?部活のみんなにも…。など考えていた。
    琴が死んだらみんなどう思うのかな?少しは後輩たちも悲しんではくれるのだろうか…。琴が死ぬことで教訓でもできるかな?


    昼過ぎになると調子も戻って来た。点滴も針は付いたままだが管は抜くことができた。


    でも完全隔離の部屋は寂しかった。

    唯一の楽しみは姉が仕事明けから戻って来てからだった。姉の仕事場と病院は近かったので17:00終わりで早ければ17:30には病院に付いていた。


    話している時は元気なのだが徐々に体力が消耗され、母と姉が帰る頃にはぐったりしているのだ。


    姉に買って来てもらったジャンプを読みながら夜の時間を潰していった。
    January 09

    leben~25~

    1/19
    第5クール目治療開始
    慣れてきたせいか今まで入れるとすぐに症状が出てしまうタキソールが初めて落ち着いて開始することができた。今回は何ごともなく済み順調だと思っていた。

    ご飯は相変わらず口が不味くてあまり食べなかった。夜もそんなに無理せず適度にやっていた。


    その日の明け方(後になって時計を見たらまだ3時近くだった)、いきなり体温が奪われた。急に体が冷たくて寒気がして何か競り上がってくる感じだった。
    個室だった為部屋には洗面台があって急いで向かった。案の定吐いた。少し吐いて楽になったので大丈夫だと思っていたけど、寒気と吐き気が収まらずナースコールを押した。

    看護婦さんに気持ちが悪いこと吐いたことを伝えるとすぐ吐き気止めの注射をしてしまおうとのことだった。
    この注射は皮下注射のため結構痛い。でも注射をするとだいぶ治まり、もう少し眠ることができた。

    副作用を感じる瞬間、琴はいつもも思っていた。『なんで私はこんなことをしているの?』風邪や体調が悪い時の症状とは明らかに違う気怠さ…。この気怠さが琴を苦しめる。癌だということを思いさらされる…。


    今回も順調に入院治療は終えた。ただゾフランだけは手放せなかった。朝、目が覚めると同時に襲って来る吐き気は数日は治まらない。


    翌週から昼間週3回今まで通っていた塾に通い始めた。一応カツラもあるのだが、未だカツラはなれず、また強い締め付けが辛かった。バンダナと帽子で通っていた。回りの生徒からどんな風に見られるのだろう…。



    この頃だろうか…。夜リビングにいてぼ~っとしていた。琴は突然意味もなく泣き出していた。
    声をあげて泣くのではなく、自然に涙があふれてきた。
    母はそれに気付き聞いてきた。どうしたの?と聞かれて琴が返した言葉は

    『情けない』


    病気になった自分が
    くよくよしている自分が
    みんな受験を頑張っているのに自分がその第一線でできない自分が
    病気だということをだしにして甘い自分が

    すべてにおいて『情けない』
    そして『悔しい』


    本当に自分が情けなくて、悔しかった。
    何もできない自分が…。


    そんな気持ちを抱え琴がただ涙を流す日が続いた。不安定な時期だったのかもしれない。


    琴の体力にはすぐ限界があり、塾の行った日など帰って来たらソファーから動けなかったりもした。



    翌週の月曜、朝起きてから吐いた。
    いつもの薬を入れた数日は気持ち悪いのだがそれともまた違う…。

    熱もない。でもフラフラする。
    とりあえず昼間休んでおこうということで、その日は勉強せずに寝ていた。

    夕方私は再び吐き、立つことができなくなった。
    母が急いで会社から帰って来た。

    急遽病院に連絡し田原先生がいることを確認して、病院へ向かうことにした。

    車の中でも起きていることがつらかった…。

    January 08

    leben~24~

    第5クール目の治療は本来なら1/13の予定だった。でもセンター試験の日程が15.16日なため、予定通りに治療をした場合副作用が一番強く出るから、予定を遅らせた。
    本来はクールをずらすことはあまりよくないのだが田原先生は若さで大丈夫との判断で治療をずらした。
    それまではいつもと変わらず週一で採血に行くことだった。



    家にいる間はなるべく勉強をし、飽きてくればパソコンやテレビを見ていた。平日は家に誰もいないのでお昼は自炊。適度に冷蔵庫に残るもので作っていた。少しは上達したかな。


    年はあっという間に明けていった。何か変わっただろうか…。


    正直この頃は自分の中で生きることなど考えてなかった。これから先も生きていけるのかわからない気持ちでいっぱいだった。
    でも『今』は『受験』という形があるから、かろうじて先があった。

    でも、もしどこかの大学が受かったとしても4月からちゃんと通えるのであろうか?ちゃんと治療を終えることができるのだろうか?という気持ちもあった。


    センター試験は本来地元大学の大教室を使用するのだけど、抗癌剤治療中は免疫力が低下しているため人ゴミの中にいることは危なかった。そのため事前から入試センターに問い合わせ特別措置の形を取ってもらった。
    特別措置の存在を知ったのは2学期中に保健室に行った時に保健の木之下先生と福田先生から話を聞いたからだ。昔、先輩でケガをしたため松葉杖使用のために特別措置を受けたことがあったからだ。

    琴の母が問い合わせてくれて特別措置を申請するために必要な書類を作成してもらった。
    琴の場合、大人数の人との接触がダメなため、特別に別教室を用意してもらうことにした。病院の田原先生には診断書を作ってもらった。
    当たり前だが病名の欄に『卵巣癌』という文字を見るのが辛かった…。
    そっか…癌なんだっけ…。




    センター試験当日は校内に特別に車を乗り入れる許可ももらった。
    本来は受験表に貼ってある写真と同じように眼鏡ではなくコンタクトではいけなかったのに、眼鏡使用の許可ももらい、試験中も帽子とバンダナ着用の許可ももらった。

    小さめの教室に試験官が2人、廊下にも2人、別室の控えにも2人。たった琴1人だけの試験なのにこんな大人数が付いていた。いくら入試センターの規定だからと言ってもすごいと思った。正直申し訳ない気持ちもあった。


    受けた試験は英語、国語、数学ⅠA、数学ⅡB、化学、現代社会だった。体調の関係もありできる範囲内の選択。
    二日目は時間が空いたので一度家に帰り休んでからまた試験に望んだりもした。

    母もずっと付いていてくれて待合室で待っていてくれた。



    センター試験を受けた翌日から治療のために入院。
    本来なら自己採点したものを学校に持って行くのだが、母に学校に届けてもらうことにした。センターのできは『こんなもんだろう』って感じでした。仕方がないって言ったら片付いてしまう感じ。


    最初はここで終わりにしようと思ってたのだけど、やはり最後まで頑張ってみようかなという気持ちもあった。
    月曜の昼、病院の電話から入院する前までお世話になってた塾へ連絡をした。
    『できる所までやってみたい。』
    琴の志望する大学は無理かもしれない。でも今できること、やれることだけでも挑戦したいと。

    塾の先生は快く承諾してくれた。

    琴はまた先ができた。進むことができる。



    さすがに5クール目となれば慣れて、自分が何日目までは元気か、気分が悪いかというのも把握し始めた。


    抗癌剤を入れる日までは元気で入れた日も夜は元気。次の日から朝は体調が悪くて午後からは元気。一番3日目が強く出て動けない。というパターンができていた。

    琴は病院にいる間はどうにか自学で済ませようと必死だった。ほとんどやってなかった数学ⅢCがキツかった。


    December 17

    leben~23~

    24日クリスマスイヴ
    琴にとってはもう関係がなかったと思っていた。
    この日高校は終業式だった。とうとう2学期は9月の半分しか通えなかった。仕方ないか。誰も予想してなかったし。

    昼過ぎ、友人の森くんと高橋くんが来てくれた。一人部屋に驚いていた。彼らも受験前だったけど顔出してくれてうれしかった。
    なぜか高橋くんがルービックキューブを持っていて、琴が熱中し始め一瞬二人を忘れてしまいそうだった。楽しかった。


    森くんと高橋くんが帰った後、琴はなぜか自分の部屋ではなくて談話室で勉強をしていた。
    そしたら聖斗病院の隣りに隣接する聖斗病院看護学校の人たちがぞろぞろとあらわれた。みんなローソクを持っていて中にはサンタさんやトナカイの着ぐるみを来た人もいて。琴がほけ~っと談話室から眺めてると南さんがあらわれた。
    『毎年恒例でね、生徒さんが歌ってくれるのよ』と。
    病棟の廊下が暗くなりローソクに火がついた。生徒さんは30人以上いて病棟を囲むように立っていた。長い廊下にそって見えるローソクはとてもきれいだった。上手とは言えないクリスマスソングが病棟に響いた。
    琴にはクリスマスなんて関係ないんだと思ってたけど、とても嬉しかった。胸に浸透するという感じはこういうことなのかと…。

    サンタさんに扮装した看護学生がクリスマスマスカードをくれた。隣りで南さんが良かったねとニコリと笑ってくれた。


    夕食にはクリスマスということでチキンやケーキがついた。
    白い壁に包まれた部屋で過ごすクリスマス。
    不思議な感じだった。
    翌日には退院をして自宅療養。




    琴は夜願いながら眠りについた。イヴの夜、本当にサンタクロースがいるのなら琴には何をくれるのだろう…。
    物はいらなかった。確かな未来が欲しかった。琴がこれからも生きていけるという確証を…。




    翌朝、いつものように吐き気はやってくる。昼は暖かい病室なのだが朝の冷え込みはすごかった。薬を飲んで寝るにもなかなか眠れないので膝掛けにくるまりながらソファーに座っていた。日が出てくるまで。



    退院の日だというに母がなかなか来ない。まぁ琴が家にいる中では掃除ができないので、早めに済ませてから来るらしい。

    早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。一人は寂しい…。





    家に帰ると高校の担任から連絡が入った。とりあえず2学期が終わったので通知表を渡すとのこと。
    でもまだ琴は体調的に無理だったので結局担任が家まで来ることになった。正直好きではない先生だったけど、何だかんだ言っていろいろやってくれたなと思う。感謝だ。


    通知表を受け取りその場で見た。2学期はほとんど出ていないから仕方ないなとは思っていたが、あまりにもひどいのがあった。
    一応学校側には詳しい病名は話していなくてもちゃんと事情は知らせていた。そのせいかほとんどの教科は1学期と数字は変わってなかった。ましてや仲の良い先生は上げていてくれた。なのに一つだけ『1』があった。
    教科は古典だ。ショックだった。

    担任も一応止めてくれたらしいが『中間も期末も受けてないからつけようがない。別に最終的(3学期)に1がつくわけではないから卒業はできる』という古典の先生の話だった。
    普通、学校側はテストを受けられなかった場合には見込み点というのが与えられるはずなのだ。なのに…。
    もし受けなくちゃいけないのなら言ってくれればいいじゃないか。そしたら琴はどうにかして受けたさ。
    ちなみにその古典の先生は琴の部活の副顧問の和田先生。ちょうどテスト期間あたりに病院来たじゃないか。ちゃんと琴の病気詳しく知ってるじゃないか…。
    ショックだった…。別に上げてくれとは言わないけど、見込み点くらい…。
    琴はこれで和田先生への信頼はなくなった。
    授業に遅れて来た男子にはかなり甘いくせに。いったいこれは何なんだ…。
    この前、定演の時に直接話しましたよね?その時にはすでにこの成績はついてたんですよね?最悪だよ。
    最終的には1じゃないから、って、あんまりじゃない?

    正直、母も和田先生に対して疑問を抱いた。
    変えることもできないので仕方なく受けとるしかなかった。結局和田先生はそういう人なのか…。
    来年からOBで手伝いに行ってもきっと自然に避けてしまうんだろうな…。と内心思いつつ。





    その日の夜は家でクリスマスだった。祖父母も集まり母の作ったものを食べケーキも食べた。



    メリークリスマス。
    来年はどこで誰と過ごしているのだろう…。

    December 12

    leben~22~

    12/20
    第4クール目の治療に入るため入院した。


    朝のうち、病院に入院した。いつもの病棟に行ってみると、看護婦さんたちが暖かく迎えてくれた。
    今まで使ってた二人部屋は琴の場所に新しい人が入っていて戻ることができなかった。

    琴はできたら一人部屋を希望していた。夜、勉強をしたかったので大部屋だとまわりの人に迷惑がかかるので。
    ところが一人部屋はいっぱいで空きが出たら移れるようにお願いをした。それまでは6人部屋にいることになった。
    6人部屋の方は良い方ばっかりで、皆琴が高校生だということを知っていていろいろ話しかけてくれた。


    入院した日は、肝機能の検査をした。それは24時間の間ずっとお小水を貯めるというものだ。少な過ぎると副作用によって機能障害が出ていることになる。もとから琴はあまりトイレには行かないのだがこの時だけはなるべく水分を多めに取る。

    実はこの頃からトイレをする時に痛みを感じていた。琴はあまり深く考えてはいなかった…。



    オバサマ達と話していてわかったことがあった。6人部屋には琴の他に20代の女性もいた。オバサマ達は手術の傷は大きく、いわゆるホチキスみたいなものでバチン、バチン止めてあるらしいのです。でも琴ともう一人の若い人はきれいに真っ直ぐ縫ってあるのです。
    これは…。恐らく『若い人はこれからだから』ということだった。
    ちょっと意外でした(笑)



    6人部屋の初めての夜は気を使ってしまっていた。
    ちょうどその日は月9のドラマ『ラストクリスマス』の最終回だった。病室の皆も見ていたので良かったです。でも皆10:00でテレビを消してしまうのです。ちょっと物足りない感じがした。『スマスマ』も見たかった…(笑)




    翌日になり、昼過ぎ。婦長さんが来て一人部屋に移動できることになった。6人部屋の楽しい雰囲気の所から離れるのは少し残念だったけど、移動させてもらった。




    初めて入った一人部屋は広かった。部屋にはバス・トイレ付き。クローゼットもソファーも冷蔵庫もついていた。しかもテレビカードなしでテレビが見れる(笑)
    部屋代は上がるけど母たちはお金のことは気にしなくていいからと言ってくれた。

    その分部屋で気にせず遅くまで勉強ができる。琴が今母たちにできることは治療が終わって元気になって、勉強をして大学生になることだ。一応無理せずに受験勉強しなくていいとは言ってくれるけども何となく勉強をせずにはいられなかった。


    通院治療は月曜日から土曜日までの入院で、今まで木曜に治療していたのが水曜日に変わった。

    4回目の治療となると、投薬後の体調がわかって来ていた。なるべく投薬後は体調がすぐれないことが多いので前日の夜はなるべく遅くまで勉強をしていた。



    水曜日。いたって体調よし。4クール目の治療開始。

    今まで出ていたタキソールをいれてすぐに出る症状はあまり見られなかった。点滴を開始する時に慎重にゆっくりいれてもらったのもあるし、やっと体にもなれて来たのだろう。

    薬をいれている間は相変わらず意識が朦朧としている。ましてや部屋が今までと違う。
    横なっていると空が見える。今までは窓からは他の病棟しか見えなかったから。

    空を見ながら考える。『なんで私は今ここにいるの…』

    自分の体が自分のものではない感じがしていた。器のような感じ。
    体があって目があって、ただ目の穴から外を覗いているような気分であった。
    たまに見える世界がまわりに黒く淵どられてるかのようだった。
    こんなの私の体じゃない。琴の体じゃない…。
    繋がれている間ひたすら感じていた。




    夕方になりようやく終わった。

    でも体はずっとほてっていた。どこからとは言えないけどアルコールの気持ち悪さが競り上がってくる。口の中がまずい。



    薬をいれた後に唯一自分ができること。多くの水分を取ってなるべく早く体から外へ薬を出すこと。これが一番副作用が少なくなる方法。
    ただ水分を取ることでトイレをする時の痛みが増えていった。また残尿感があり、何度もトイレに行くが出ないことが多かった。


    まだ自分ではわかってなかった。これが膀胱炎だということを。


    とうとう痛みが激しく眠れない日があった。夜中の3時の時の見回りの看護婦さんが来た時も起きていて、ようやく痛みがあることを伝えた。数分後当直の先生が来てくれた。
    説明をすると恐らく膀胱炎だろうということだった。夜は痛み止めを出すから明日の朝、採尿をして調べようと。


    翌朝、採尿をした結果はやはり膀胱炎だった。抗癌剤の副作用により菌が入っても菌を殺す細胞が死んでいるために膀胱炎になってしまったのだと。しばらくの間は薬で様子を見ようということになった。

    はっきり言って、この痛みを告げることには恥ずかしさがあった。どうしたらいいのかもわからなくて。でも告げることは大切なんだなと思った。


    November 27

    leben~21~

    12/15
    CT検査のため朝ご飯抜きで病院へ向かう。
    採血をしてからCT検査室へ。CTが終わる頃には今日の採血結果が出るであろうから、婦人科へ戻り今日の白血球の数値を聞く予定。



    CTは造影剤を使う。造影剤を使うと喉と下半身が急激に暑くなる。撮る場所は胸部から卵巣にあたる所まで。何度も撮る。
    まだMRIほどうるさくないからマシだと思う。
    造影剤を使った後は水分を多めに取りなるべく早く排出する。薬を長い間、体の中に止まらせておくことは体に悪いらしい。抗癌剤と一緒だなと思った。



    CTを撮った後はいつも通りに婦人科へ。数値は少し下がってたが、そんなに心配しなくてわいけないほどではなかった。
    先生と来週から4クール目の治療について話して終わった。







    12/19(日)


    この日は桜桐中学・高校吹奏楽部の定期演奏会だった。

    高3は夏のコンクールが終わった後で引退しているのだけど、定期演奏会のアンコールには現役生に混ざってステージに乗ることを許されていた。でも琴は出られなかった。


    当日、琴は地元で浪人している吉原先輩と一緒に行くことにした。琴は一人で行くのが嫌だった。でもみんなに会いたいし、演奏も聞きたかった。だから吉原先輩と一緒に行った。
    吉原先輩には琴の事情、病気であることを話した。

    この日琴はカツラをかぶっていた。まだ違和感のある自分がそこにいた。これは琴なのだろうか?
    なるべくは人と会いたくなかった。何を言われるのだろう?
    本当に矛盾していた。人と会いたくないのに出かけたい。みんなと会いたいのに言われたら怖い。

    何とも言えない不安ばかりだった。まだ琴の病気を知ってる人の方が何も言わないでいてくれる。


    案の定ホールに向かうと後輩達が『髪型変えたんですか?』と聞いてくる。正直辛い、何も言わないで、お願い。そんなことを祈りつつも『何となくね~』と返す自分がいる。どうでもいい後輩達なら無視できる。でもこの子達は悪気があるわけではない。琴はいい先輩でいるしかなかった。

    辛い、怖い、痛い、止めて、少し放っておいて、ただ琴はみんなの顔を見て演奏を聞くだけなんだから…。怖い…。嫌…。



    リハはもう終わっていたので佐伯先生の控え室に逃げる。先生は琴がカツラかぶっているのを初めて見たけどニコっと笑うだけで何も言わないでくれた。安心する…。他の先生達もいたので早めに退散し、本番は客席ではなく、ステージの端にずっといた。吉原先輩は他のOBの先輩の所にいたのでいなかった。

    本番中いた場所は舞台袖にある照明装置がある階段の途中。一人でいられるスペース。ちゃんとステージも見える。
    演奏を聞きながら考えていた。

    何で琴はここにいるんだろう。去年、琴はこのステージ上にいたのに…。来年もアンコールだけでも乗るんだって誓ったのに。八木節の演奏が終わってあんなに泣いてたのに…。何で今琴はここにいるの?楽器が近くにない。先生の指揮で演奏することはもうないのに…。


    他の先生が指揮している時に佐伯先生が琴の所へ上がって来た。大丈夫?って聞かれて、平気と答えた。みんな頑張ってますね~。と琴は先生に言った。先生は苦笑いをして照明係をやっているOBの先輩の所へ行った。
    はっきり言うと、その年の演奏プログラムはキツかった。金管にとっては試練だ。これを気にみんな伸びてくれたらいいな。琴の学校はある意味金管が要だから。



    定期演奏会はうまく行き、成功をおさめた。終わってしまって琴の中でぽっかり開いてしまった。呆気なかった。本来なら八木節だけでも吹いて、終わった瞬間に言われる『ブラボー』の掛け声と大きな拍手を浴びていたのに。




    本来なら終了後の楽器撤退も手伝うのだが、無理はできない体のため端にいた。
    同じ学年の部員には不思議そうに見られた。この中で琴の詳しいことを知ってるのはほとんどいなかったから。髪についても突っ込まれたが軽く流した。正直彼らの中に入ることが出来なかった。
    どう接すればいいのかわからなくなっていた。



    帰る直前に佐伯先生の所へより、また明日から入院しますとだけ言って帰った。



    みんなにとっていい演奏会だったかもしれないが琴にとっては辛いことしかなかった。



    前から同じ学年の部員の中に入りずらかったけど、さらに増した気がした。でも本当に不安しかない。怖い…。


    カツラなんて嫌…。

    でも自分の素もみんな見たらひくのだろう…。




    この頃からある意味対人恐怖症になっていった。

    事情を知ってる人は構わないのだが、知らない人で琴を知っている人に対しては特に…。

    November 20

    leben~20~

    琴の自宅治療が始まった。
    退院して2.3日はまだゾフランが必要で、いつもベットの横の机の上には薬ケースと水を置いていた。

    外泊の度に自分で片付けていた髪はもうない。寒い冬は、髪の有り難さを知った。寝る前に部屋を暖めて寝ても朝には冷え込む。昔はバンダナをかぶって寝ていたが後ろで縛る結び目が痛く、たまにバンダナごとスポッと抜けていることもあった。それで琴はタオルをかぶって寝ていた。
    髪はとても保温性があったのだ。熱が直に頭から逃げて行くように感じた。家の中でもずっとタオルをかぶっていた。琴の頭は自分でも直視できないものだった。あまり家族にも見せなかった。自分の頭蓋骨の形がわかる。鏡の中にいる琴と前に撮った写真に写る琴は本当に琴なのかわからなかった。


    抗癌剤の威力は協力なもので少し生えたかなとでも思うといつの間にかに抜けていた。
    本当に生えてくるのか?治療前までの髪型に戻るまでにどれくらいかかるのか?わからなかった。
    ただ、以前南さんが言ってくれた、治療が終われば生えるということを信じて…。



    琴はカツラを作った。
    以前からお世話になってる美容院で作ることにした。
    最近は現代病と称されるせいか、抗癌剤副作用用のカツラがある。よくテレビであるカツラは部分カツラがほとんどだ。この副作用の場合は頭全体。もし一般向けの全体カツラを使用するとかなりの重さになる。専用だとかなりの軽さだ。但し、パターンは少なく学生用となるとショートかセミロングで色も黒と栗毛しかない。琴は元から黒なので問題はないが違和感があった。
    いくらどんな前の琴に似せようとしても琴ではない気がした。

    不安だった。別に病気で髪が抜けたことは仕方がない。でも、今、『カツラをかぶっている』という状況が人から見ればどう映るかわからなくて。
    家族や親戚は大丈夫だよっていうけど、琴の中は不安だらけだった。
    病気を知ってる友人は構わない。でもまったく知らない人から見れば…。何か言われないか…と不安で仕方がなかった。怖かった。



    カツラをかぶっている自分を見て、これが琴なんだと自己暗示をするように納得させるしかなかった。




    金曜日、自宅治療になってから初めての検診の日。琴はなるべく人ゴミの中を避けるよう言われていたので、田原先生にいろいろと無理を言って調節してもらいました。本来なら一番早くても8:30なのに当日に血液検査をしてからの診断なため、8:00頃に先に血液検査だけさせてもらうようにした。と言ってもやはり結果が出るのは9時近いのだが。
    琴は8時に病院へ送ってもらい、まず検査室に行き血液を取り、時間があるので内科に置いてあるテレビで朝の連ドラを見て、30分になったと同時に婦人科へ向かう。
    やっぱり婦人科はほとんどが産科で、琴は異様に見えた。見るからに回りよりは若く、バンダナをして帽子をかぶり、マスクを常備。何度行っても慣れない空気感があった。

    この時は母も一緒にいて、仕事も遅れて行ってた。一人でいるよりは良かった。



    数値は普段通りに下がっていたものの、輸血は必要ない数値だった。一つクリア。






    今度行くのは来週の水曜日。

    この時、CTも取ることになった。経過を見るために。

    手術て摘出したのは左の卵巣。大きさは腹水を含めて7㎏。右は左ほどではなかったけど、少し大きかったらしい。術後の検査に回した時は右には癌細胞が見られなかった。
    もし、抗癌剤が合わなかったら癌細胞は右にも浸食されてるはずだ。
    CTを撮って再来週、20日からの第4クールに向けて。

    leben~19~

    12/4 土曜日
    退院の日


    琴はずっと朝からウズウズしていた。早く帰りたくて。

    さすがに朝起きてすぐはダルいけど、ゾフランを飲んで落ち着くまで寝ていれば済む。


    毎週土曜日は時間経過が遅くて嫌になる。朝は結局8時には起きてて、いつも平日ははなまるマーケットなどを見て過ごす時間も、土曜日はほとんど一週間まとめたニュースばっかり。琴は毎日見てるから、そんなまとめたものを見てもつまらない。

    家から持って来た紅茶とお菓子を食べながらボ~っと待つ。ケータイをいじりながら、メールでまだ来ないの~?とかつまんない。とか暇。とか意味のわからないメールを姉に対してすごい量を送っていた。
    さりげに身の回りを片付けつつ。


    琴の入院生活に必要だったものぬいぐるみもありました。
    高2の研修旅行の時に沖縄の美ら海水族館で買った甚平鮫の『こばん』です。なぜ、こばんかと言うと、琴が研修旅行から帰って来て家族にお土産を見せていたらやたら大きいぬいぐるみが…。姉がこれ何?と聞いたところ琴が甚平鮫と言いたかったのに間違って『小判鮫』と言ったのがきっかけです。それいらい名前がこばんになりました(笑)
    そのこばんはずっと一緒に入院生活をしていて、外泊で帰る時さえも一緒に帰って、病院に帰る時も一緒に帰っていました。寝る時はずっと抱いていて、今では汚れちゃっています。



    退院は簡単なものでした。土曜日は会計が開いていないので次回来た時にといわれ、ちゃんと週2回病院に来て下さいと言われ。


    ただ一度退院するともう琴の使ってた病室には戻れないし、今まで琴の担当の看護婦さんだった南さんも担当を外れることになる。少し寂しかった。本当に南さんは琴の不安に思うことを除去していってくれた。大好きな看護婦さん。まだ、治療は続くけど、退院ということでってことで、プレゼントをもらった。ティーポットのカバーだった。勉強頑張って大学受かって一人暮らししたら使ってねって。
    そして、
    『    琴ちゃんへ
                  大変な時期だけど
                  勉強頑張ってね!
                人一倍輝く未来が待ってるからね!
                                           南 淳子    』
    と書かれたカードが入っていた。
    琴はとても嬉しかった。こういう看護婦さんが担当で良かった。
    読んで泣いちゃった。本当にありがとうございます。まだ治療は続くけど、頑張れる。



    そして、退院をする。
    今まで、一緒の病室で過ごした隣りのおばあちゃんは寂しがってくれた。そのおばあちゃんは本当に仲良くしてくれて琴は孫みたいな存在だった。琴もこんなおばあちゃんと同室で良かった。
    最後にナースセンターに行くと田原先生と清水婦長がいた。
    田原先生は『体調が悪くなったらすぐに病院に来ること。まぁ、直に家に来た方が早いかもね~(笑)』と言ったら清水婦長が『えっ!?ご近所なんですか?』と。
    そうなんです~。琴と田原先生はご近所さんです。歩いて1分かからないくらいの距離。琴の部屋から先生の家が見えます(笑)でも琴の主治医になったのは偶然でまったく知らなかったですから。知った理由は田原先生の『車』のおかげなんですけどね(* ̄ー ̄)

    そういうわけで琴は無事退院をしました。



    退院をした日、父方の叔父が家に来ました。遠くに住んでるため来れなくて、退院当日に来ました。琴の意外にも元気な姿を見てびっくりしてました。



    そしてここから琴の自宅治療が始まる。内心、不安でいっぱいだった。自宅にいる安心さはあるが、病院と違って完全な自己管理の世界。唯一経過がわかる白血球の数値は食べ物で上がるというわけでもない。万が一風邪を引き、肺炎なんぞ起こしてみたらまさしく命も関わる。何が起こるかわからない世界。

    leben~18~

    11/29
    今週から第3クール目の治療が始まる。
    そんな中、琴の退院予定日が決まった。12/4だ。
    もとから琴は通院治療を望んでいたのだけれど、聖斗病院の方針として、抗癌剤の通院治療は認められてなかった。ただ、まず抗癌剤を3回入れた後は、退院をすることが可能で、次の治療の時に短期入院をすればいいということができた。
    それでようやく3回目を迎えることができて、退院の日も決まった。でもやっぱり、無理は行けないからと、血液検査と比べながらということになった。
    退院をしても週2回病院へ通い血液検査をし、白血球の数値次第では即入院させられる可能性もあった。
    でも琴は出たかった。みんなと同じ立場に立って『病人』とした立場ではなく『受験生』として頑張りたかった。
    よって、退院の日は決まった。ただその前に3回目の治療があった。


    月曜日は友達がたくさん集まってくれた。あゆみと楓、森くんに同じクラスの小貫くんだった。お菓子をみんなで食べながら談話室で騒いでいた。琴がボール投げたい~とかわがままを言ったのだが、さすがにボールは調達出来なくて実現出来なかったけど(笑)晩ご飯がくる時間までみんなと騒いでて、夕方回ってくる宮内先生がニヤってしながら通るのを見てた。



    12月に入って早いなぁと実感。もうすでに2回を終わらせて今度やったら後半分。進行してなければいいのだけど。

    水曜日、お姉ちゃんと晩ご飯の後、病院内をお散歩して戻って来たら見覚えのある顔が病室の前にいた。顧問の和田先生だった。持っていたのは部活の東関東大会のパネルと定期演奏会のポスターだった。この前、佐伯先生が来た時に頼んでおいたやつを届に来てくれた。内心『ちっ、佐伯先生じゃないのかよ』と思いつつも笑顔で受け取る。

    好きな写真だった。写真に写る琴はまだ病気のことをまったく知らない全面の笑顔。高3と佐伯先生とで撮った写真。ちゃっかり佐伯先生の隣りに琴がいる(笑)
    パネルは大好きなハープを弾いている。コンクールの写真でパネルの下には部員全員の名前。『Tuba&Harp 奏 琴』チューバパートの中にいるのではなくて、琴だけがTuba&Harp。これが嬉しい。
    演奏が終わった後にちょっとした事件もあったが、今はこの先生の横にすごく嬉しそうに写ってる自分でいい。
    パネルは大きいから持ち帰ってもらおうかと思ったけど、母さんがせっかくだから置いとけば?というからテレビの上に飾っておいた。
    そして、その大好きな佐伯先生の横にいる琴の写真は、前から持って来ていた、クリアケースの中に入れた。
    クリアケースの中には、友達の晶が描いてくれた絵と琴の使っていたハープの写真、文化祭の時保健委員会で撮った写真、そして今回のコンクールの写真が入った。大好きなもの。大切なもの。




    翌日、朝、婦長さんが回ってきた。今までにちゃんと婦長さんはいらっしゃったのだけど、その婦長さんは仮の方らしくて本当の婦長さんは清水さんという琴の母と変わらないくらいの婦長さんだった。
    『今月研修から戻って来た婦長の清水です。よろしくね。奏さんは今日から治療よね。頑張ってね』と挨拶された。そしたらふと、清水婦長が琴のテレビの上に飾っておいたパネルを見て、『あら~東関東大会?これ吹奏楽よね、私の娘もね、やってるのよ~』と言いパネルに近付いて学校名を見ると『桜桐高校』の文字が…。『あれっ?奏さんって桜桐高校?もしかして、清水尚子って知ってる?』と聞かれ、『あ、はい。後輩です。あっもしかして清水さんのお母さんですか?』『やっぱり?そう、清水尚子の母です』
    世間は狭いと思った瞬間です。
    琴はこの病棟の婦長さんが後輩の母だと知り、『あの~そしたら、定期演奏会のポスター病院内のどこでもいいから貼ってもらえますか?』とさりげなく宣伝。清水婦長はそのポスターにちゃんと娘が写ってるから軽くいいわよ~と言ってくれた。すごいラッキー(* ̄ー ̄)v
    後にそのポスターは外来で最も一番人が来る内科のテレビモニターの下に張り出されました。すごい宣伝力です(笑)




    そして抗癌剤治療3クール目が始まった。
    なかなか血管が出て来ない。血管は使ってると細くなるらしい。元から細い琴の血管はキツい。探られる瞬間がなんとも…。
    毎回出る、入れた瞬間に出る症状を見越して投薬を始めるのだけどどやっぱり出てしまう。とても苦しい。

    薬を入れている間はずっと寝ている。まぶたが重い…。看護婦さんに起こされてトイレに行く以外は寝ている。ご飯も食べられない。ただ起きた時になるべく水分を取る。副作用が出ないように。




    薬を入れた後は、口が不味く何も食べたくない。病院側もそういうのを見越して患者の好きなものを持って来て食べていいと言われていた。琴もあんまり病院のご飯は食べずにいろいろ持って来てもらっていた。姉の仕事帰りにコンビニで買って来てもらったり、母にご飯を作ってもらって持って来てもらっていた。




    翌日は森くんが高橋くんを連れて遊びに来てくれた。31を買ってウマ~って感じで食してました。


    October 27

    leben~17~

    病院に帰り、琴の受験は始まった。
    部屋は二人部屋でお隣りが優しいおばあちゃんでとても仲良くしてもらっていた。一応部屋でも勉強はできるのだが、机が動いてしまうので談話室でやることにした。
    また琴は人に見られてるほどやろうという気持ちが上がるため、談話室でやることが好きだった。毎日10:30になるとオバチャンたちが集まりみんなそろって韓流ドラマを見始める。そのオバチャンたちに偉いわねぇと言われるのが好きでした(笑)琴は桜桐高校に通ってることをすごく誇りに思ってたから。


    その日の夕方、佐伯先生からメールが来て、お見舞いに来てくれた。ただし、今回はお土産なしだよって。
    面会時間は20時までだったから1時間くらいしかいなかったけど、楽しかった。佐伯先生が来るととても自慢になる。オバチャンたちや看護婦さんたちにかっこいいわねぇ~と言われ、自慢の先生だ。先生にお願いして、今度12月にある定期演奏会のポスターとチラシを持って来てもらえるよう頼んだ。ポスターには琴のハープ姿が写ってるからね。
    先生はやっぱり目線がバンダナの方に行ってたかな。この前会った時は帽子だったし。
    事務的に来る担任より全然いい。本当に心配してくれてるんだなって感じる。部活やってて良かった。最後嫌な気分だったけど良かった。



    翌日は祝日だった。休みの日はつまらない。休みの日は家族が来てくれるのがわかってるのに家の片付けをしてるからなかなか来なくてさびしい。休みの日は特に談話室は賑やかで、テレビも特番でつまらない。いつも早く来ないかなぁって待っている。
    やっと来たと思っても一日中いてくれてるわけではなく、どこかさびしい。買い物に付いて行きたくても感染症があるから動けない。
    出かける時、わざと姉だけが来て、琴の相手をしてもらうことが多かった。
    その日は天気が良かったので屋上に行ってみた。初めて屋上に行った。琴の地元の町が一望できる。琴の通った小学校が見える。懐かしい。
    県立高校が見える。サッカー部だね。
    中学ん時付き合ってた子の小学校も見える。元気かなぁ?
    とか。いろいろ眺めてた。



    午後になり、森くんと山田くんが来た。31のアイスを持って。琴のリクエストで買って来てもらった。美味♪幸せ~。
    彼らと他愛のない話をしていると琴担当の看護婦さんの南さんが来た。仲良いね~って。うん。すごく仲良い。楽しいもん。

    次の日は楓が来てくれた。どんな話をしてただろう。来てくれたのはわかってるのに内容が思い出せないや。きっとこれもいつもと変わらない話だったんだろうね。楓はこの3日後に試験の2次だったからチケットを渡したのかな?頑張れっ☆.。.:*・°



    そして次の日は坂本先生と担任の高岡先生が来た。模試を持って…。
    元からお願いしてたやつで、みんなが日曜に受ける予定の模試を早めにもらって、自分で時間を取ってやって提出していいよと言われたから。どちらかというと坂本先生も高岡先生もスーツをきっちり着てる方で、先生達が帰った後、まわりのオバチャンたちに、家庭教師の先生?偉いわねぇと言われました。敢えて学校の先生には見えないのかと…。


    琴の日課として決まって来たのは、午前中勉強をして、昼を食べた後、屋上にお散歩、そして軽くお昼寝、んで夕飯までお勉強、夕飯食べて母さんたちが帰るまで遊んでて、帰った後、また勉強。って感じ。
    病院の消灯時間は21:30で琴は体調の良い日は特別に消灯後もカンファレンス室で勉強させてもらっていた。田原先生に許可をもらっていたから。

    でも、確か月曜は必ず21:00には切り上げて部屋でテレビを見てた。『ラストクリスマス』をやっていた。最初のうちからヒロインの矢田亜希子に病気があるのがわかってた。見てて悲しい時もあった。
    琴も後、何回クリスマスを迎えられるのだろう。10年後はいるのかな?とか。辛かった。
    このドラマのいい所は敢えて矢田亜希子の病名を出さないこと。下手に出すと反感を買ったりするからね。


    この週の週末も外泊許可が出た。家へ帰れる。

    September 28

    leben~16~

    2クール目は前回より副作用が酷く、ゾフランを多めに出してもらっていた。

    そうしているうちにAO入試の一次の合格発表の日が来た。結果はネット上のため自分では調べられなかった。姉が調べて連絡をくれることになっていた。
    結果はダメだった。聞いた話によると一次を通ったのが9人だったらしい。受けたのが130人以上いたのにここまで落とすとは誰も思ってなかった。でも9人しか通らなかったことを聞いて反対に諦めがついた。まず受けに行けただけで充分だと。
    結果を聞いてすぐに担任と進路指導と顧問の先生にメールをした。楓にもメールをした。
    昼休みになって楓からメールが来た。楓は一次通ったと。くやしい気持ちもあったが本当に嬉しかった。面白いところは楓の受けた学科は一次全員合格。やっぱり教授によって違うんだなと思った。
    楓には頑張ってもらおう。

    結果を聞いた後、琴はセンターに向けて頑張ろうと思った。このまま受験をしないで病気の治療に専念することもできたが、琴はやれるだけやってみようと思った。何も目標がないでただ病院で過ごすのはだらけるし、ダメになる気がした。

    その週末は外泊許可が出た。センターを受けることにしたから進路の先生に連絡を取ってアドバイスを受けようと思い、早速先生にメールをして会う時間を作ってもらった。

    外泊許可をもらうといつも金曜の夜に出て月曜の朝に帰ってくる感じだった。金曜の帰る日の夕方、仲の良い男子3人が来た。森くんと赤澤くんと山田くん。彼らは腹が減ったと良い売店で大量に菓子を買ってきて、談話室で食べながら話していた。琴はバンダナをしていたが何も聞いてこない。これが結構嬉しかったりもする。3人の中で病名を知ってるのは赤澤くんのみ。見れば明らかなのに聞かない出くれるというのは男子ならではだなと思う。

    琴のお見舞いには比率として圧倒的に男子が多い。琴の学校が元男子校のせいか男子の比率が多い。その中でも琴はサバサバしてるから男子の友達も多い。でも周りから見れば単なる男好きにしか見えないのか…。オバサンたちによく彼氏はどれなの?と聞かれるけど、みんな仲の良い友達ですよ、と答える。
    本当の彼氏は連絡が全くない、一度も来ない人だったから。


    土曜日学校へ行くのに初めてバンダナと帽子で行った。今回もわざと授業中に移動をしていた。さすがに帽子かぶってて、取れとか言われたら敵わないし…。

    まず本来の目的を成し遂げる。進路の坂本先生と保健室を使って面談をした。琴のやりたいこと、勉強できる科目等を話して出した結果は、今まで5教科7科目だったのを5教科6科目にすること。その中でも社会は現社を選択だから普段の勉強はそんなにない。国語も琴の現文はかなり良かったので必要なし。今まで理科は化学と物理だったのを化学一本に絞る。だから病院で勉強するのは英語、数学ⅠA.ⅡB、化学のみ。これだけでも受けられる私立は結構あった。
    やっぱり方針を決めると頑張るぞという気持ちが固まる。
    ましてやこの坂本先生というのがすごくて、できると言われものはできる気がする。坂本先生にはすごく助かった。


    その後は保健室でひなたぼっこをしつつ、顧問の佐伯先生の授業が空くのを待つ。終わった頃に教官室に行き、いろいろ話す。治療の話もするし、先生の話も聞く。楽しい時間だったりする。

    もうそろそろ帰ろうかなぁと思って保健室に戻ると担任がいた。はっきり言って忘れてた。存在を。
    琴が佐伯先生に会いに行ってたのを知ってるから、他に会いたい先生いる?と嫌味っぽく聞かれ、あ~別にいいです。と無関心で答えました。
    担任は今年初めて受験の学年を受け持ったため、すんごく使えないため琴は坂本先生を頼ってるので存在を忘れてました。
    早く帰りたかったから軽く流す程度に話し、帰宅。

    この外泊中の間にセンターの過去問を買って、病院に帰ってからの勉強準備をしました。

    leben~15~

    病院に戻ってから第2クールの治療が始まった。
    薬をいれるのは木曜日でそれまでの間に腎昨日の検査をする。24時間かけて尿量を計りとるというもの。
    また、薬をいれる日は一日中点滴をしているようだから前日にシャワーを浴びる。でも琴は拒否感がある。どうしても見なくてはいけない自分の頭。日が経つに連れて眉毛やまつげも抜けてきた。抗癌剤の威力を知る。本当に体中のありとあらゆる毛が抜ける。
    まだ完全には抜けていない頭は洗うことが怖い。指にからみつく感じが嫌だ。
    以前、琴の担当の看護婦さんの南さんが洗う時は言ってくれていいよ。というのを思い出し琴は南さんに頼んで洗ってもらうことにした。手術後などはよく母にお願いしてたのだけどさすがにこの状態でお願いするわけにもいけない。南さんは快くやってくれた。どちらかというと南さんは琴の気持ちを知ってたから。シャンプー台に顔伏せていて、洗ってくれている南さんの指が心地よかった。



    11/11 第2クール開始
    また針を入れるのに手間取る。吐き気止めをしてからタキソール。前回も症状が出たために先生も看護婦さんも慎重。入れた直後やはり出た。一度止めて落ち着いてから再開。時間をかけてやる。

    数十分経った頃点滴の異常に気付く。チューブから血が逆流していた。そして針を射していり部分が痛み出した。針が血管から外れたらしい。今回も射し難かったから微妙な位置に射していたのだ。
    すぐに宮内先生が来て注射の準備をした。
    事前の話の中に抗癌剤を血管から漏らすと皮膚が死ぬと言われていた。もし、死んでしまった場合は腕を切るしかないとも。皮膚も細胞分裂が激しい所だから抗癌剤の影響を受けてしまうのだろう。
    一度針を抜き、薬が漏れたであろう位置の回りを囲むかのように30ヵ所近く注射を打つ。とりあえずこの状態で2.3日様子を見るとのこと。
    漏れた部分には薬が塗られ患部を冷やしているようだった。

    その後は順調に進めることができた。唯一の救いは事前に祖父母に今日は来なくていいと言っておいたこと。薬が漏れたことを知ったらすごい心配してしまうから。ましてや薬が漏れるという症状を話していなかったから。
    後はずっと眠っていた。
    夕方になり父が来た。もちろん聞かれる腕のこと。琴が答えたのはぶつけた。もとから琴は怪我しやすかったので青なじみ(青痣)ができるのはしょっちゅうだったから。
    これまた父も心配症だから言わない。話したのは母のみ。姉も知りません。今もみんな知らないと思う。


    翌日は朝の二日酔い以外何ともなかった。先生たちに千鳥足になってるとからかわれたりした。

    ところが土曜日起き上がることができなかった。体の節々が痛く、ゾフランを飲んでも全く効き目がない。そうしているうちに吐いた。あまり食べてなかったから量は少ないが、何度もせり上がってくる。うまく立っていられない。
    ベットに戻り看護婦さんを呼んだ。このような場合のためちゃんと吐き気止めの薬は用意されていた。さすがに動けないのは辛いから吐き気止めを注射してもらった。
    幾分かましになったがこの日は一日中寝ているようだった。
    September 27

    leben~14~

    病院に戻るのは月曜の朝でした。その頃からかな?病院に『帰る』という表現を使ってたのは。もう無意識で使ってましたね。『帰る』と。

    病院に帰ると採血が待ってました。これまた下手な方でして、まず右腕で2回射して左に射してみても無理で結局右手の甲でした…。

    病院に帰って来てからか日が経つに連れて、朝起きて見る抜けた髪が増えていきました。朝、起きると顔、首のまわりにボサっと固まっていて…。寝返りなどできずにいました。
    その頃の朝の日課は起床時間前に起き、抜けた髪をきれいにゴミ箱にいれることでした。
    その光景を見た看護婦さんは琴にコロコロで取ってくれました。
    びっくりしたでしょう?と言われて、うなずくことしか出来なくて。
    『大丈夫だよ。治療が終わればちゃんと生えてくるから』って。

    看護婦さんのすごい所はちゃんと患者さんが欲しい言葉を言ってくれることだと思う。嫌味にもならない本当に言われて安心できる言葉を。



    AO入試の受験日が11/7で前日に着くようにするには11/5の採血次第で受けに行けるかどうかが決まります。
    なぜか看護婦さんたちには大丈夫だよと言われ病院の先生たちには数値悪かったら無理だからねっ!と言われ…飴と鞭でしょうか?(笑)


    結局、数値はうまいこと行き5日に外泊をし、6日出発の7日試験で帰って来て9日には病院へ戻る予定をしていました。

    また、楓も同じ大学を志望していたので一緒に。本当は琴と楓だけで行くつもりだったのですが、琴の状況が変わってしまったために琴の母も同伴でした。

    京都についてからというもの琴は出かけたくて楓を引きずりこんで遊んでました。
    やっぱり最後の神頼みと思い北野天満宮へ。そしていろいろ買い物をして…。本当に明日試験するんですか?ってくらいに遊んでました。
    自分の中で多分今年はもう来れないだろうという自覚がありました。もちろん試験は頑張るけど、来年から通うことができるのかと思い…。


    ホテルについてからが一番疲れました。実は時期的に一番髪が抜ける時期で髪洗おうと濡らすだけで髪がボサっと抜けてしまい、UBの排水口はすぐにつまってしまい…。部屋は母と一緒だったので、琴が苦戦してるのを見て横で髪の毛を捨ててくれました。母は初めて見ました。こんなに抜けるものなのだと。
    今まで外泊して自分の部屋に寝てても琴がちょっと早めに起きて髪の毛を先に片付けていたので知らなかったのです。翌朝、琴が抜けた髪の毛に埋もれて起きるのにはびっくりしていたようでした。
    最初の予定では琴と楓が同室だったので、バラバラで良かったと思いました。さすがにこんな姿みたら引くでしょう。


    試験はその大学特有のものでぶっちゃけ行き当たりばったりのものです。課題を出されそれについて文章を書くのと講義を受けそれについてレポートを書くというものでした。あくまでこれは一次でこの結果次第で二次試験に進めるかどうかが決まるものでした。
    また琴の志望する学部は人気がありまして…。倍率が26倍でした。130人受けて5人合格という…結構キツいものでした。


    試験終了後はそのまま帰宅。心身ともに疲れきってましたね。
    でも、はるかに母と行くより楓がいて良かった。二人で合格したらルームシェアしようねとか話してました。


    8日は体を少し休めようと思いゆっくりしてました。
    そこで琴は初めてというか意を決して頭を洗いました。どうしても今まで怖くて強く洗えなくて。取りあえず一次試験が終わったから洗ってしまおうと。
    色付きの袋を風呂場に持って行き洗い始めました。最初は洗うというより髪を落とすという感じで、たまったら髪は袋に入れ…。あっという間に琴の頭から髪が消えてました。かろうじて前髪や襟足は残ってて左側面は地肌が見えてました。悲しいけどしょうがないって。
    袋を見ればこれでカツラ作れるのでは?というくらいの量がありました。
    でも髪を洗うのは怖いですね。触れた髪がそのまま手にくっついて抜ける気がして…。


    それから琴はバンダナを付ける習慣が身につきました。よくドラマでも見る姿です。それが今、自分がしている…。

    leben~13~

    朝、目を覚ました。少し横になってたがいきなり冷や汗と共に吐き気がした。テーブルの
    上にある薬を急いで飲み、落ち着くまで横になっていた。
    薬の種類は『ゾフラン』です。一応水なしで飲めるもので口の中ですぐに溶けるもので
    す。それで無駄に甘かったりします(苦笑)
    
    朝ご飯は思ってた通り、食べられませんでした。さすがに何食べないのはいけないと思い
    ヨーグルトは食べるよう心掛けました。
    その日はまったく副作用関係が出たりせず、普通に過ごしてました。
    
    琴は11月にあるAO入試を受けたくていろいろ本を読んだり、軽く数学を解いたりして
    準備をしてました。
    
    朝の吐き気は4日間続き、薬を飲めば治まるので意外と楽なんだと思ってました。
    でも、実際は副作用が出てるのに気付いてないだけでした。歩いてたら足首が痛くなり、
    てっきり捻挫したのだと思ってました。もとから捻挫癖がついてるし~と。
    でもその痛みは足首から膝、足の付け値までに渡りなかなか寝れなくなってました。その
    頃はまだやっぱり看護婦さんに言えずにいたのですが、相談した所、試しに湿布張ってみ
    る?と言われ、してみた所、意外に痛みが消え落ち着くことが出来ました。
    やっぱり看護婦さんはすごいと思った一面でした。
    
    抗癌剤の経過を見るのに採血をします。骨髄抑制によって白血球が下がり過ぎてないかを
    見ます。白血球が下がり過ぎている場合は感染症(風邪など)にかかり安く、食べ物も加熱
    調理が必要など大変なもので外出も許可されません。場合によっては輸血が必要な時もあります。
     
    髪の毛が抜け始めたのは翌週からでした。
    そんなボサボサと抜けるわけではないのですが、明らかに少しずつ減るのがわかりました。
    シャワーを浴びた後、鏡を見ると生え際が見え始めてたことにショックを受けました。
    そして髪を洗うことに恐怖を覚え、強く洗うこともできませんでした。
     
    その週の金曜日採決をし、午後になって宮内先生がやってきました。
    「白血球の数値下がってないから外泊する?」って。
    琴は思わず「していいんですか?」と聞き返しました。
    抗癌剤治療は最低3回は病院に入院したまま続けなくてわいけないと聞いていたので、
    てっきりそんな簡単に外泊ができるとは思ってませんでした。
     
    夕方に楓とあゆみが遊びに来てくれて外泊の許可が出たんだよ~と知らせて、
    早速土曜の昼にご飯を食べに行くことにしました。
    土曜日は学校が午前中授業なので学校に顔出しをしようと思い行くことにしました。
     
    約一ヶ月ぶりの学校では、わざと授業中の時間に移動をしてました。
    保健室を拠点として。前日のうちに部活顧問の佐伯先生にメールをしていたので、
    先生がわざわざ保健室まで会いにきてくれました。
    音楽教官室は4階なのでかなりの体力がいるので…。
    先生達に京都まで受験しに行くことを話すとみんな驚いてました。
    でも自分のやりたいことがあるのでどうしても受けたかったものだし。
    佐伯先生が次の時間は授業があるからって出て行くとき、
    頑張れよって琴の頭をポンポンっとはたいてくれました。
    琴は何というかこの仕草えおして貰うのが凄く好きでして…。
    一瞬、髪の毛が抜け始めてることもあったからビクッとしたけどやっぱりすごく好きです。
     
    4限が終わって楓が迎えに来てくれたのですが、教室に行こうかどうか迷いました。
    廊下まではすんなりと行けたのですが、教室の前になると怖くて入れませんでした。
    廊下では仲のいい子達と話せるんだけど、教室には怖くて…。
    内心、これで完璧に治ってまたこれから通いますってことならすんあり入れたのだろうけど、これはあくまで一時でまだ入院生活が続いているわけで…。
    このとき、初めて登校拒否に子の気持ちがわかったような気がします。
    教室一歩入るのにすごい勇気がいります。
    クラスの子からどんな風に見られるのだろうと気になります。
     
    琴は何も考えてない担任に言われ頑張って入り、
    さりげなくいるだけにしようと思ったのに
    「奏さんが来ました~。でもまだ学校には来れないのですが、奏さん、何かみんなに言うことある?」とふられ…。
    キレました。
    これから治療続ける人に、回りは詳しいこと知らない人に何を言えっていうの?
    「別にないです」と答えました。
    無責任な担任です。琴は宣言したんですよ、入る前担任に「適当に入ってるだけなんで」と。
    別に話してもいいけど、生徒にふらないで下さい。本当に怖かったのに…。
     
    その後、学校近くのファミレスにて昼食。いろいろ話して楽しかった。
    今まで一緒にお昼を取ってたのに、琴は毎日一人で食べてたから嬉しかった。